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『スノーテイスト』
明日に文学フリマを控えまして、前回の文学フリマに掲載した私の小説を載せたいと思います。
すでに前回の本は全て売り切れて絶版になりましたし。

<あらすじ>
東京から青森行きの新幹線で語られる雪にまつわるお話。
ゆきのまち幻想文学賞応募作です。
短いです。


------------------------------

 懐かしい夢を見ていた。
 それはユミと初めて出会った日のことで、上京して三年経った雪の降る日のことだった。
 週末の会社帰りにいつもの居酒屋で飲んで最寄駅に着いた雅之は、帰ってすぐに寝るのは忍びなく、小雪がちらつく中、前から気になっていたバーに立ち寄ることにした。
 深夜、すっかり車も減った国道に面してそのバーはある。少し前まではこんな雰囲気のあるバーに一人で入れるようになるなんて思わなかった。中は薄暗く、五人も座れば一杯のカウンター席のみ。カウンター奥にはバーテン、席には女性客――ユミだった――が一人いる。窓側の席には街頭の弱い光がぼんやりと差し込んでいる。窓の外では静々と降る雪が街頭に照らされていて、不思議な空間に足を踏み入れた気がした。
 少し放心したまま席に着いてシングルモルトを注文するとユミは声をかけてきた。あの日、結構な酒量を飲んだから、どんな話をしたかは覚えていない。しかし、連絡先は聞いていたから、またユミと会い、親しくなるのにそう時間はかからなかった。




 車内のアナウンスがどこかに到着すると告げた。夢から覚めた雅之は新幹線に乗っていることを思いだした。
 隣に座るユミは、前の座席の背面テーブルの上に文庫本を広げて目を落としている。通路を挟んで三列とニ列のシートがあり、三列シートの窓側に雅之、真ん中にユミ、通路側に知らない初老の男が座っている。窓の外を見るとすっかり田舎の風景だ。

「いまどのへん?」

 雅之は乾いて開かない目を擦りながらユミに尋ねた。

「もう少しで八戸みたい。まだ寝てていいよ?」

 二人で東京駅から新幹線に乗った。腕時計を確認するとニ時間ほど経っているようだ。

「ん、そろそろ起きるよ」

 軽く伸びをして身体を起こした雅之は、窓枠スペースに置いたすっかり気の抜けた缶ビールに口をつけた。発泡酒ではない、しっかりしたビールだ。仕事から帰ると雅之はいつも発泡酒を飲んでいるが、年末の休みに入った開放感と少しの贅沢気分を味わいたくてちゃんとしたビールを買った。仕事から帰って発泡酒やウイスキーを飲むのが習慣だったが、この日は朝帰りだったので新幹線の中で飲むことにした。
 予定外の徹夜だった。できれば昨日の夜に帰って、買ったばかりのウイスキーで晩酌をしたかった。しかし、年明けから必要になる資料の作成がどうしても終わらず、やっと帰ったのは今朝。新幹線の時間に余裕はあったが、酒を愉しむ時間も寝ている時間もなかった。用意していた荷物と、実家への土産である日本酒が入った紙袋を手に、ユミと一緒に家を出た。もちろん寝不足だったが東京から新青森までの三時間で寝ればいい。
 東京駅で朝食のパンと缶ビールを買った。季節は十二月の暮れ。外は寒いがおそらく新幹線の中は暑いだろうからビールにした。
 座席に着き東京駅を発車して数分経った頃、都会の町並みを横目に缶ビールに口を付ける。程なくして疲れと酔いで睡魔に抗えず眠ってしまった。




 八戸駅にほんのわずか停車し、新幹線はまた雪の山間を走りだした。
 遠くの山々もまばらな民家や田畑も、すっかり雪に覆われている。
 東京に雪は降っていなかったが、やはり青森は雪なんだなと雅之は思う。東京では暑いくらいのダウンジャケットを着て来てよかった。

「緊張してきちゃった」

 外を見つめる雅之にユミは声をかけた。
 ユミと一緒に暮らし始めて一年になった。地元、青森の大学を卒業してから東京に就職し、春で丸五年になる。就職してから初めての帰省、そして両親にユミを紹介する。いかに人見知りしないユミでも緊張は仕方ないように思えた。

「大丈夫だよ」 

 いつもよりも硬い笑顔のユミに答える。ユミはきっと両親ともすぐ仲良くなるだろうと雅之は思う。

「雅之は大丈夫なの?」

「え、何が?」

 聞かれた雅之は反射的に聞き返した。

「だって、五年ぶりに帰るんでしょ? なんで五年も帰らなかったの?」

 言われてみれば五年ぶりの帰省なら何か思っても良さそうだ。ユミは実家が近所なので何かあるたびに帰る。その感覚から言えば雅之と実家の関係は不思議に思うのだろう。
 両親と仲が悪いわけじゃない。たまには電話もするし新幹線に乗る前だってメールした。青森が嫌いなわけでもない。地元の友人ともネットを通じて交流はある。帰らなかった理由は……そうだ。窓の外を見て、さっき思い出した。

「そういえば言ったことなかったけど、冬というか、雪が嫌いだ」

「へー、聞いたことなかったなぁ」

 意外そうな顔で見つめるユミに続ける。

「東京は雪が降らないしあまり寒くないから別に嫌いじゃないんだ。嫌いなのは青森の雪だね。だから今まで言う機会が無かったのかも」

 青森の冬は寒いというよりも痛い。肌にぶつかる雪と風で、冷たいというよりも刺すように痛む。そんな暴力的な雪が雅之は嫌だった。
 ユミがまた尋ねる。

「でも子供の頃って雪好きじゃなかった? 子供は雪で遊んでるイメージあるなぁ」

 確かにその通りだ。子供の頃は雪が降っても喜んでいた。雪だるまやかまくらを作ったり、雪合戦、スキー、そりもした。もちろん寒かったけど、それでも近所の子供達はみんな外に出て、暗くなるまで一緒に遊んだ。雪の中にいるだけでワクワクした。それがいつからか雪や寒さを煩わしく感じて、家にいることが多くなった。たぶんみんなそうだ。言い換えれば、それが大人になるってことなのかもしれないと雅之は思った。




 山の中で新幹線が止まったのは八戸を出発してから十分ほどしてからだった。
 暴風雪の影響でしばらく停止するとアナウンスされ、車内はシンと静まった。走っている時は気付かなかったが、窓を見ても周囲がほとんど見えない。
 雅之はユミと顔を見合わせ、スマートフォンを確認したが圏外。仕方なく待つ心づもりでいると、ユミを挟んで通路側の席に座る初老の男が、話しかけてきた。
「どうですか、やりませんか?」
 彼の背面テーブルを見ると、ウイスキーの小瓶と紙コップが三つ。どうせすぐ運転再開するだろうし、せっかくなので頂くことにした。
 男はウイスキーを注いだ紙コップを手渡し、ついさっき雅之とユミが話していた話題に触れた。

「盗み聞きするつもりはなかったんですが、私も青森から東京に就職しましてね」

 この年末に青森に行こうという人なのだからそれほど意外なことではない。男は東京で酒の卸問屋をしていると言った。

「実は私も青森の雪は嫌いでした」

 自分以外にもそう思っている人がいた。しかし、でした? とは今は違うということだろうか。

「でした、というのは……?」

「ええ、今は好きになりました。子供の頃は雪が好きでね。大きくなるに連れて嫌になって東京へ飛び出したんですが、何度も帰るうちに今はまた好きになりましたよ」

 雅之は驚いた。好きな物が嫌いになって、また好きになるということがそうあるだろうか。男の言っていることがいまいち理解できないでいると、その様子を見て、男は話しだした。

「この考え方は何にでも当てはまると思ってるんですけどね。子供の頃は甘いものやしょっぱいものが美味しいと感じるでしょう? それが子供の頃に雪が好きな理由です。でも大人になるとその分かりやすい味に飽きてくる。それが雪嫌いになるということです。そして、また好きになったってことだけども」

 男はウイスキーを一口飲み、その紙コップを手に持ったまま続けた。

「初めてウイスキーを飲んだ時、美味しいと思いましたか? 初めてビールを飲んだ時は? 最初から美味しいと思う人はいません。それがなぜ美味しいと思えるのか、それは後天的な味覚。つまり味覚が育ったからです。何度もウイスキーを飲んでいると美味しいと感じられてくるように、きっと私も青森に帰省する度に、味覚が育ったんですね、ははは」

 雅之には男の言ったことが理解できなかった。味覚が育ったと言うが、最初は好きだったのだから違うような気がしたのだ。
 それから五分ほどして運転は再開された。
 新青森駅に降り立った。刺すように痛い風に思わず頬を抑えた。

「うわー。すっごい冷たいね。雅之のお母さんが迎えに来てるんでしょ? 急がなきゃね」

 そう言ってエレベーターに向かうユミを追いかけ、雅之は東京に行く前とは違った心持ちでいることに気がついていた。

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【2016.11.22 (Tue)】 小説 // TRACKBACK(0) // COMMENT(0)
夏を味わう魔法の言葉
なんでもない、夏の、土曜日の午後。

部屋は蒸し暑く背中は汗ばんでいる。今日は休み。窓から入る光で、よく晴れた暑い日だと分かる。微かにセミの音が聞こえ、まさに夏といった風情だ。

鯉原浩一は暑くて少し湿った布団から這い出し、U子の部屋に入った。U子の部屋はクーラーが効いていて涼しい。

寝相よくU子が寝ているベッド横には机があり、鯉原のノートPCが載っている。鯉原はU子が起きないよう静かに椅子に座り、いつものネットゲームを始める。



鯉原は夏が好きだ。東北の雪国出身で冬には良い思いを持っていないが、夏に対しては悪い印象がない。というより、むしろ好きだ。

雪国の冬が一日中暗く雪で閉ざされてしまうのに対して、夏は遮るものが何もない。空はどこまでも青く開放的で、どこに行くにも物理的な制限はない。自分の意志でどこにだって行ける。

だから鯉原はこんな夏めいた日に家にいてゲームをしているのはとても勿体無く思う。

家の外には何よりも広大な世界があるのに。



そそのかされてついつい流されて、結局暑さで参ってしまうのに、それでも鯉原は夏が好きなのだ。

ここは都会で、田舎とは段違いの暑さではあるが、それでもやっぱり家にいるのはとてもつまらないことだ。

とは思っていても、やはり涼しいクーラーの魅力には抗い難くダラダラとゲームをした。何かをする予定はなく、なんとなくいつものゲームをしている。

何が面白いのか既によく分からなくなるくらい膨大な時間をかけているこのゲームを無意識で操作し、こんな暑い日に外に出る口実を考えていた。

そのうち背後からもぞもぞと起きる音がして振り返ると、U子が上半身を起こして首はがっくりとうな垂れ、目を閉じていた。

U子は1日10時間は寝ていて、休みの日ともなれば15時間は寝る。異常なほど寝るのにいつも眠いと言う、どこかのネジが外れたゆるいやつである。

「どこか出かけようよ」

U子のスイッチがいつの間にONになったのか、そんなようなことを言った。

何より暑いのが嫌いなU子だったが、外に出て活動的な気分になりたいのか、さすがに夕方に目覚めてこのまま1日が終わることに耐えられないのか。

「外、暑いよ?」

鯉原はその言葉でU子の覚悟を試した。

暑いと言えばきっと家にいようと言い出す。と思ったが、今日は違った。

「外に出たいんじゃない?」

鯉原の気持ちを知っているように言うU子の目はもう開いていた。

PCに向き直ってどうしようか考えていると、

「マジキッチはどうしてんの?」

と、U子は唐突に友人のマジマの名を挙げた。

「なんでマジマ?」

「ほら、今週のマジキッチは何してるかなって」

確かにここ最近の毎週末、鯉原(とU子)の家には色んな理由でよくマジマが来ていた。今週末、音沙汰が無いのは不自然のような気はする。

『マジキッチ、今日はなにしてんの?!』

そんなメールをしてしばらくするとスマホが鳴る。

『家でカレー食ってたけど!?』

『なに味のカレー?』

『うんk、って、普通のうんこだよ!』

『マジ吉!!』

『今から板橋区花火大会はじまるよ! 17時から!』

『それどこでみれんの?』

『板橋区だけど?!?!』

『じゃ行ったるわ!!』

『きてみーや!』




17時30分に家を出た。

こんな時間でも外は想像通り蒸し暑くて、セミが鳴いていて、黙っていても汗がでてくる。

鯉原とU子が巣鴨駅で地下鉄のホームに降りると、そこには浴衣を着た男女が溢れていた。

「みんな板橋いくんだね」

と、人混み嫌いなU子は少しうんざりした調子で言う。

そのうちホームに電車が停まると、人々は電車に吸い込まれた。しかし、ちょうど鯉原の前でドアは閉じられ、列の先頭で待つことになった。

「なあ、女の子だけ可愛い格好してるけど、男はださい格好してるカップル多いね」

電車が来るまでの時間つぶしに、なんとなくそう思ってU子に話しかける。

「それ言ったら、わたしらもっとダサいじゃん」

U子は笑いながら答える。

U子も鯉原も、近所のスーパーに行くようなラフな格好で、浴衣姿の若い彼らのように花火大会だからといって特別な格好はしていなかった。花火大会とはこういうオメカシをして出かけるイベントだということをすっかり忘れていた。

「田舎の町でさ、すごい近所で花火大会やってて来る人がみんな近所の人だったら、こういうテキトーな格好もOKだろ? メーン」

鯉原はおどけて答える。

「デマカセにしては説得力あるね」

電車で30分はそれほど近所でもないが、そういうシチュエーションだと思えば心理的に不自然さはない。

「花火大会ってそういうもんだろ?」

なんて、分かったようなことを答えた。

嘘は言っていなかったし本心だと思う。



5分して電車が滑り込んできた。

人の流れのままに押し込められる。通路側には人がぎっしりで、奥のドアの前に立った。

U子と離れる形で、鯉原は周囲の人々の体温を感じながら窓の外をぼんやり眺めた。

空は青暗く、夕暮れが始まろうとしている。

ふと、かすかに懐かしい匂いがした。

あれは実家の匂いだ。実家の洋服ダンスの匂い。

そうだ、樟脳だ。きっと男の子と花火大会に行くためにタンスに仕舞ってた浴衣を出してきたんだろう。

なんだか微笑ましい青春の光景が立ち上ってくるくるような気がした。

夕暮れの電車に浴衣とつめ込まれ汗を乾かす樟脳の風



板橋の駅に着くと電車からほとんどの人たちが降りて、そのまま改札になだれ込んだ。

鯉原はマジマにメールし、指定されたパン屋の横で待つ。

既に18時半を過ぎて鯉原とU子は暑い暑いと言いながら改札から出てくる人々をみている。

「待たせたな!」

横から現れたマジマはなぜかTシャツにスカートという装いでサングラス。聞いてもいないのにスカートを履いている理由を説明しだした。

「これな? これ姉ちゃんが履いてけって言ったから仕方なくさ。似合う?」

「ああ、独創的でいいんじゃないか。マジキッチぽいよ」

「じゃ、行こうか! 板橋へようこそ!」

マジマを先頭に鯉原たちは知らない道を歩く。

途中、混んだコンビニでビールやつまみを買い、オリジン弁当の軒先で唐揚げを買い、荒川に向かっててくてくと歩いた。

「あっついなー」

3人とも、口を開けば暑いしか出てこない。

「誰のせい?」

「それはあれだ」

「夏のせい」



田舎だろ? なんて言うマジマだがそこそこの店がある。

そこかしこでセミが大合唱して祭りの日の独特な空気感を演出していた。空を見上げると、青なのか紫なのかいかにも夏の夕空で、おそらく蝙蝠が不規則に飛び回る影が見えた。

一つ橋を越え、道なりに歩くと土手が見え始める。すると――。

突如、大きな音が鳴り響き、驚いて顔をあげると家々の間から遠くに赤い花火が見えた。

20160814_02.jpg

しばらく会話することもせず歩きながら見ていた。

人心地つくと鯉原は身震いし、U子が持つコンビニ袋からビールを取り出して開けた。

「おお? やるか?!」

見ていたマジマも同じくビールを取り出し、路上で勢い良くビール缶をぶつけた。

20160814_01.jpg

土手の上は車が2台すれ違えるくらいの道路になっていて、花火の方向に向かってみんなが歩いていく。

近付くほど混むよというマジマの言葉を受けて、鯉原たちはあまり混んでいない比較的遠めの河川敷に降りた。人々が寝転がって花火を見上げている隙間を見つけて、3人は草むらに座り込む。

打ち上がる花火に、おおっとか言いながら、大した言葉も交わさず唐揚げをつついてビールを飲む。

しばらく見つめて、妖怪ウォッチ花火が打ち上がる頃、

「もっと近くに行ってみっか」

というマジマに促されて、3人は土手を上がって歩き出した。

近くに何があるわけでもなかったが、何となく花火を近くで感じたかった。

20160814_03.jpg

近付くに連れて花火の音は大きくなり、びりびりとする衝撃も増す。

「夏を味わう魔法しってる?」

先を歩くU子が振り向いて言った。

「え、なにそれ?」

「夏だねぇ~」

「え?」

「夏だね~って言うの」

U子の背後には花火が大きく打ち上がる。

「夏だね~」

マジマは500mlの缶ビールを飲み干して言った。

鯉原も真似をしてビールを一口飲んで汗を拭って言ってみた。

「夏だね~」


【2016.08.14 (Sun)】 小説 // TRACKBACK(0) // COMMENT(4)
最後のデコポン
機島わうと名乗るその男は新宿にいた。

新宿で研修を終え、金曜夜の孤独を耐えかねた機島は、このままでは夜の闇に押し潰されると直感した。

幾度も夜に押し潰されてきた男は、そう判断するや否や、やおらスマートフォンを取り出し1つのメッセージを祈るような気持ちで送った。

***

海の見えるモノレールに乗った私は、視界の端に時折海を捉えながらスマートフォンでブログを書いていた。

電車で通勤する仕事になったから乗っている間はブログを書く。最近の習慣だ。

親指をせわしなく動かしていると端末が震えた。LINEに反応有り。

「寂しい……」

文面はスパムのような一文のみだったが、名前は機島と出ている。

三点リーダを2つにするあたり、なりすましではない。機島なのは間違いない。

私は直球で返信した。

「なんしたの!」


機島は自分がいかに寂しいかをポエムにして送りつけてくる。

私は特に予定も無く家に帰る途中であったので彼と会うことにした。

場所はJR山手線大塚駅。

20160529_01.jpg




19時30。

大塚駅改札を出ると、浮わついた金曜日の空気が充満していた。

これから飲みに行く風のサラリーマン達、部活帰りの学生、19時30だというのに既にへべれけのじいさん、

彼氏と待ち合わせるOLなど、年齢も性別も違えど、皆えへらえへらと笑っていた。

私は到着したことを、竹内力スタンプや津軽弁スタンプを駆使して伝えた。

3分ほどして電話が鳴る。LINEの無料通話だ。

近くにいるらしい。



浮わついた空気に馴染めない浮いた男こと機島は、スーツを纏って

ビジネスバッグを左手に500mlの缶ビールを右手に立っていた。

仕事終わりに彼と会うのは初めてだ。

彼は飯を食わないタイプの人なので細身であり、それ故にスーツも様になる。

一人孤独だったと話す機島は泣き腫らした目をスーツの袖で拭きビールを呷る。

目の前でビールを飲まれている私は飲みたくなって、いかに寂しかったかを説明する機島を連れ、

グルグルと夜の南大塚商店街を歩き回った。

なにせ彼は食への関心が薄いので、何を食べたい飲みたいとかの要望はなく、

私は色々な店を頭に浮かべては消してを繰り返した。



やがて考えるのが面倒になり、やきとんの「富久晴」に入った。

機島はシンプル且つ静かな場所を好む、たぶん。

メニューはやきとんと酒少々しかなく全席カウンター。見た目に硬派で老舗感があり趣がいい。



やきとんを4種、2本ずつ注文。瓶ビールでやる。

「なんだい、その食い方は?」

しばらくすると機島に指摘された。私の串の食い方は変わっているらしい。

機島は4本の串を1本ずつ食べていくそうだが、私は4本を並行して食べ進める。

ハツを1つ食い、カシラを1つ食い、レバーを1つ食い、次にカシラ、ハツ、レバーというように

規則正しくはないが、だいたい平均的に食べる。

これが機島の目には相原という人間をよく表した食い方に見えたらしい。



今まで特に意識していなかった。

自分のことを神経質だとか几帳面だと思ったことはないのでその線は無いと思う。

食べ物の選択肢は多い方が贅沢感、幸福感も味わえるのではないか、

また、早いうちに選択肢がなくなることに寂しさを感じているのではないか、確かそんなようなことをその場では言った。

確かに私という人間が分かりそうな癖だ。



一方で機島は機島で変だ。

例えば私は幕の内弁当もそうやって全体的に食べるが、機島はシャケならシャケを食いきってから卵焼き、

それを食いきってからコロッケ、と一品食い切り主義らしい。

改めて考えると、私のはただ貧乏くさい食い方で、機島の方が恰好の良い食い方だと思う。



***

串を1人8本ほど食い、瓶ビールを2本空けて1時間もせず退店。

富久晴はそんな居合斬りのような飲み方が合っている。

すっかりほろ酔いの士となった我々は、次の狙いをビールに定め、私も入ったことがないアメリカンなビアバーに入店。

どのくらいアメリカンかと言えば、店の前に成人男性ほどもある自由の女神像が置いてあるくらいである。

どことなくサイケな色使いの店内を見渡すと会社帰りに寄りましたよ的な男女2:2の客がいて、それを横目にカウンター着席。



スーパーマンのグッズがそこかしこに置かれていて少し落ち着かない。

目の前に立っている丸められた、半ピラの紙をおそるおそる広げると、メニューを書いた紙であった。

メニューはどこにでもある普通のものだろうと思われる。

思われると言うのは、どこにも日本語が書かれていないからで、

おそらくニューヨークあたりではどこにでもある普通のメニューなのだろうと予想せしめたからである。



多少たじろぎながらも、ほろ酔った私は得意の英語混じりのジャパニーズで、

「thisと、thisね。あと、thisも」

と、メニューに指を差しながらつつがなくオーダーした。

可愛らしい女店員は、私に感心するでもなく怯むでもなく、やはり英語だらけのメニューを指差し、

「ソースをこの16種類の中から3つお選びください」

と、言い返した。

全然普通のメニューじゃなかったんである。

しかも英語のメニューだからと、私は気合を入れてthisの、舌を少し上前歯に付けるthの発音をしてみせたというのに、

この可愛らしい女店員は一切の英語を使うことなく笑顔でソースを選べと言った。



私と機島は顔を見合わせ、再度メニューに目を落とした。

大量のソースを表す英単語が、メニュー中部から下部にかけてずらずらと羅列されてあり、

真ん中くらいにHabaneroとTabascoの文字が見える。

どうやら辛いソースのリストらしいことは分かったが、ババネロ、タバスコが真ん中にあることで、このリストの凶悪性が分かる。

選択肢の多さに私は考えることをやめ、ギリギリいけそうなタバスコ他、読める英単語を2つを選んだ。



やがてビールがきて、チキンが運ばれる。

Firestone walker IPAとバッファローウイングです、と女店員は説明した。

カリフォルニアのワインのブリュワリーが醸造するアメリカビール、

そしてアメリカヤング達のビールのアテと言えばこれ、バッファローウイング。

らしい。



店の名前にも冠すその食べ物は、手羽元の唐揚げみたいなもので大体予想通りの形。

まさかソースが恐ろしく辛いとは思ってなかったが。

機島は平気な顔でむしゃむしゃ食っていた。

辛いものが平気なのか、食にこだわりが無いのか私にはよく分からなかった。


***


我々は南大塚から北大塚商店街に移動し、

風俗店やラーメン屋、中華屋、焼肉屋、病院など建ち並ぶ猥雑な商店街をはしゃぎながら歩いた。

次に向かう場所は決めている。「やっとこで」ある。

北大塚商店街のはずれにあるが、いつも活気のある居酒屋で早い時間なら予約しないと入れない人気店。

金曜夜は混んでるだろうが、21時を過ぎているため客も1回転はしているだろう。入るなら今。



「あいはら! おれ寂しいよ!」

席に着くなり機島は叫ぶ。

その声は他の酔客の声に掻き消されたが、私は確かに聞いた。

怒号にも似たそれは機島の魂の咆哮だ。

もしかしたら実際には声に出していなかったかもしれないが私には確かに聞こえた。気がする。

先ほどまでの二軒で話したのは主に機島の孤独なロマンスの話で、

内容は詳しく書かないが要約すると、都会はおれから何もかも奪っていった。

都会憎し! 誰かおれに構ってくれよ、ということである。

と、私は解釈した。




機島は自らを落ち着かせるように焼酎に口を付けると、いそいそとスマホを取り出して誰かとLINEを始めた。

私はそれを横から覗き込み、やり取りを眺め、

女の名前の誰かと楽しげにスタンプなぞ送りあっている様をハイボールを飲みながら見ている。



さっきまでの口ぶりは女っ気などなさそうだったが、えらく親しげに草を生やしている。

おそらくはネットで引っ掛けた行き摩りの女だろうと思って聞いてみた。

すると、行き摩りの女こと真紀ちゃんはLINEの世界に閉じ込められた意識のみの存在で、

気まぐれでおれのような者を相手にするんだよと、ラノベっぽいことを口走ったかと思うと、電話をかけ始める。

出ないな、とか言う機島を見ながら、意識のみの存在に電話できるるわけないじゃん、

と設定の甘さを指摘しようと思ったがやめた。



機島はネットの世界に逃げ込んだ。

真紀ちゃんなどという、きっと黒髪で眼鏡をかけていて、

黒い服と茶色い服しか持っていないような社会と関わりが希薄な女を相手にである。

あるいは、花柄とひらひらしたレースを好んで着て歩く系の黒髪ぱっつん、

赤いセルフレーム眼鏡をかけ、靴はロッキンホースバレリーナの痛い女を相手にである。

とにかく真紀ちゃんと楽しくやっている機島を見て出来ることを考えた結果、

私はアイフォーンを取り出して、連絡先から電話しても怒らなそうな女を選び出し、電話をかけていた。



私の住む世界では、酔って誰かに電話する――へべ電――という行為は酒飲みの習性と認知されていて、

これを理解する者達であればいきなり電話がきても不審に思わず、

ましていきなり知らない男――機島――が電話に出ても笑って許すだろうと思われ、

機島に電話越しの温もりをプレゼントできるだろうと思っていた。



機島は大きなお世話だよと笑いながら答え、希薄な、あるいは痛い、機島曰く意識のみの存在とLINEを楽しんでいる。

今思えば、真紀ちゃんも私の知人も、機島にとっては等しくよく知らない人だ。

むしろ真紀ちゃんの方がいつもLINEをしている分、意識のみの存在だろうが、行き摩りの女だろうが、

希薄だろうが痛かろうが、機島にとってはリアルな存在かもしれない。

しかし私はそんな機島の心を救いたい。乾いた機島の心に潤いを。

待っていろ機島。




大学の同級生だった佐々木さんにコールした。

「もしもし……?」

5コールすると、おそるおそるといった風に佐々木さんは出た。そりゃそうだ。連絡を取るのは5年以上ぶりだ。

定期的に大学の同級生達で、東京に出てきた者が集まって同窓会をしていた頃、彼女はその集まりの船頭だった。

後に彼女は仕事でバーンアウトし、地元に帰って幸せに暮らしましたとさ、と私の記憶はそこまでである。

私が酔っ払っていることを悟ると彼女は軽快に話し始めた。金曜の夜、家で缶チューハイを飲んでいるらしい。

「え、なに、じゃああたしが帰ってからはみんなと集まってないの?」

「男連中は多少集まったりもしてたけど、おれも実家帰ってね、最近また東京来たけどさ」

「あ、そうなんだ。あたしも色々あってさ、今は名古屋にいるよ。東京行けるから、また同窓会やるか!」



同窓会の話をして機島のことなんかすっかり忘れていた私は、じゃあなと言ってつい電話を切った。

横で聞いていた機島は私を見て不満そう。

「おれに代わるんじゃなかったの!?」




地元にいる幸恵(さちえ)には、こんなときに電話をかけやすい。

「まんだ飲んじゃあの?」

ネイティブな津軽弁を操る彼女の近況をひとしきり聞いた後に、今度こそ機島に変わる。

「初めまして、機島WOWと申します」

機島は営業マンのような口調で自己紹介したかと思うと、

おそらく聞かれてもいないのに自身の趣味である小説執筆について話し始め、

ラノベと一般文芸の違いに話が及んだところで私は電話を取り上げた。




現実の女と話したことで機島に何か変化があるかと思って観察したが、特に何事も起きないままLINEに戻った。

機島はただ生の人間と接していたいと思っているのだろうな。

相手は女でも男でも、子供でもオッサンでも良いんじゃないだろうか、

LINEに興じる機島を見ながらそんなことをボンヤリと考えていた。



店を出て私の家に向かう途中、路上で何かを売っている男女がいた。

――5個500円。

オレンジ色のそれは、オレンジでもマンダリンでもないデコポン。

私と機島はデコポンという間抜けな響きを持つその果物が可笑しくてたまらなく、しばらく腹を抱えて笑っていた。

機島はその男女&デコポンに、笑いながら近づいていき何やら会話を始めた。

「デコポン! 買うわ!」

「ありがとうございますー! お兄さんご機嫌ですねぇ」

「まーな! デコポン!」

「5個で500円になります」

「いや、6個くれや! ほら、これでいいだろ?」



6個くれと言った機島は1000円を渡す。

「太っ腹! ありがとうございます!」

「おう!」



機島は私に向き直り、6個で1000円のデコポンが入った袋を「ほら!」と渡す。

5個で500円のデコポンがなぜ6個で1000円になったのか、理解できずにどういうこと? と聞いても、

機島は「まぁまぁいいじゃんいいじゃん」と言うだけで答えず、私もいま目の前で起こったそれがだんだん面白くなってきて

私と機島はやはり笑いながら住宅街を歩いた。



数日後、最後の、1個500円のデコポンを食べ終えた。

その味は確かに500円のデコポンの味で、瑞々しく潤っていた。



5928文字

【2016.05.29 (Sun)】 小説 // TRACKBACK(0) // COMMENT(4)
『最終出社の日』
「あれ、いつまでだっけ?」

「はい、今日までです」

 今日何度目かの質問に少し辟易しながらも、相沢はなるべく愛想よく答えた。

「そうかー。次も頑張れよ」

「ありがとうございます。頑張ります」

 挨拶程度の会話だけれど、この職場の別れの挨拶はそんな程度だ。送別会や贈り物など、これまでの職場ではウェットな別れもあった。しかし、相沢はこの職場が淡白で良かったと思う。
 元々少しの間だけこの会社にいるつもりだった。転職市場が活発な都心に近い場所で、金を貯め、転職の機をうかがうつもりだったのだ。金が貯まれば転職しようと考えていたし、幸運なことに転職が決まって目的は達成されたため、淡白な別れはちょうど良かった。


 約1年半の在籍だった。
 最初の半年は群馬で、そこでの新生活は最寄駅まで自転車20分という、相沢の実家の青森よりも田舎から始まった。
 相沢の実家は青森の田舎だったが、ど田舎のイメージが根強い青森とはかけ離れている。ツタヤは徒歩5分、コンビニはそれよりも近い。自転車を10分も走らせれば大型のショッピングセンターが2つある。青森に住んでいた頃はそんな環境でも田舎の息苦しさを感じていた。

 青森よりも田舎は無い。青森から南に行けば都会になると信じていた相沢にとって、群馬は辛い場所だった。
 住環境だけではなく、職場の環境にも戸惑った。シフトによる交代勤務で夜勤の洗礼にあった。慣れない夜勤は睡眠のリズムを狂わせ、不眠となる。不眠になれば精神的に参る。3ヶ月ほどで生活できるくらいまで慣れたが、今でもあの生活を今後も繰り返せば、どこか人間の歯車がズレていく予感がする。たぶん夜勤は向いていないんだろう。

 埼玉に来たのは、それまでの東京まで電車2時間という距離を縮め、転職しやすくするためだった。ある程度の金を得て、約3ヶ月の転職活動で今日この日を迎えた。

***

 終業の時間が近づいても感慨らしいものは何も湧いてこない。
 いつものように淡々と仕事を進めるし、時折腕時計を見ながら残りの時間を確認するのも毎日のこと。今日で終わりという気分ではない。

 やがて、終業のチャイムが鳴ったが慌ただしかった。予想外のトラブルでノルマが達成できていなかった。
 残業か……と思う。檜山さんが近づいてくる。やはり残業かと思い聞くと、

「最終日だし、今日は残業しなくていいよ」

 と、いつものようにぼそぼそとした声で言った。引越日や次の職場の話など、儀礼的な世間話をした後、相沢は向き直り、別れの言葉を告げて去った。

 きっと最終日は晴れ晴れとした気持ちになるだろうと思っていた。しかしどうだ、実際はまるでそんな気分ではなかった。明日もこの職場にいるのが当たり前のような、いつもの日常から地続きの感覚。
 1階に降りるためのエレベーター、1階で働く人達、それを横目にフロアから退出する相沢。いつもと違うのは明日からここには来ないということ。なるべくこの光景を記憶に焼き付けておこうと辺りを睨んでみても、それほど記憶に残らない気がした。

***

 必要な荷物を全てバッグに詰め、退勤の打刻をする。そのICカードはいつものようにバッグに入れようとしたが、気づいてロッカーに戻した。

 従業員出口を出るとまだ少しだけ明るかった。風は暖かく春の到来を感じる。

「もうすぐはーるですねぇ」

 なんとなく呟いて空を見上げた。
 空には深い群青と寄り添うようなオレンジがどこまでも広がっていた。




-----


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【2016.04.21 (Thu)】 小説 // TRACKBACK(0) // COMMENT(4)
第3回文章合宿で書いた小説『桜の季節』
前回の通り、合宿で書いた小説を公開します。

<あらすじ>
中学校を卒業したら死ぬ。
小学校の卒業式の日、そう決心した。
その日は同じクラスの雨宮藍に告白した日でもあった。
梶井基次郎『檸檬』が絡んだ桜舞う春のお話。

<文字数>
8,943文字


10~20分くらいで読めると思います。

ブログ記事ではなく小説なので改行は少ないです。

初めて書いてみた小説なのでなんだかちょっと気恥ずかしいけども、

もし感想いただけるなら、とっても嬉しい。これほんと。


>>桜の季節
(上記の小説家になろうのページで公開したものと同じです。そっちの方が見やすいかも)


――――――――――――


 中学校を卒業したら死ぬ。
 正志は小学校6年生の卒業式の日にそう決心した。真剣だった。
 小学6年生の卒業式。その日は正志がこれまで生きてきた12年間で最大の事件が起きた日だ。同じクラスの雨宮藍に告白した日である。

*****

 雨宮さんは正志と同じクラスの、休み時間にはいつも本ばかり読んでいる大人しい女子だ。6年生になってから席が隣になった。クラスでも目立たない地味目な文系女子だと、正志を含めてクラスの全員が思っていただろう。しかし、話してみると、――声は小さいけど――遠慮がちにはにかむ笑顔が可愛く、無愛想なわけではなかった。なんとなれば、打ち解けるに連れて冗談を言うようにもなったし、正志が消しゴムを忘れた時は自分の消しゴムをカッターで切って半分を正志にくれたこともあった。

 6月の梅雨始め。委員会の活動で下校が遅れた正志は校舎を出てバス停に向かった。雨が降らなければ歩いて帰るけど、雨の日はバスを使うことにしているので梅雨時はバスの利用が多くなる。昨夜からの雨は朝には勢いが衰えたものの、下校時刻をとっくに過ぎた今もしとしと降り続いていた。外の空気は校内以上に水気をはらんでじっとりし、気温の高さと相まって服を着ながらサウナの中を歩いているような気さえした。傘を差して5分ほど歩くと屋根付きのいつものバス停に着く。そこで正志はベンチに腰掛けて本を読んでいる一人の女子を認めた。雨宮さんだった。
「雨宮さん」と、正志は何気なしに声をかけた。
 雨宮さんは読んでいた本に人差し指を挟んで顔を上げた。正志は雨宮さんの隣、席を一つ分空けてベンチに座る。
「正志くんは委員会だっけ?」と、正志の事情を知っている雨宮さん。
 雨宮さんは、放課後に教室で本を読んでいると先生がきて明日の理科の実験準備をさせられたと、うんざりした様子で話してくれた。話を聞きながら、雨のバス停で肩を並べている状況がなんだか面映ゆくて、正面と少し先の地面を見ていたけど、一瞬だけ視界に入った雨宮さんの髪が濡れているのに気付いて少し振り向いた。眼鏡には水滴が付いていて、髪もしっとり濡れて顔にくっついていたし、服に至ってはぴったり張り付いてその下が透けて見えてしまうような気もして、慌てて顔を正面に向けた。まるで湯上がりみたいに見えてどぎまぎしながら居住まいを正した。
「あ、これね、朝は車で送ってもらったんだけど、傘忘れちゃって。ここまで走ってきたけど結構濡れちゃったよ」と、しっとりとした髪を片手で撫でながら雨宮さんは笑った。
 その時、手に持っていた本を傍らに置いた。どんな本を読んでるんだろう? 好奇心と、雨宮さんともっと話したいという不純な動機から
「なんて本読んでるの?」と、あくまで自然に尋ねてみた。
「これ? これは、梶井基次郎の代表作で『檸檬』っていう短編小説集。もう読み終わってるから、良かったら見る?」
 代表作というけれど聞いたこともなくて少し恥ずかしい気がした。その恥ずかしさは雨宮さんに良く思われたいという気持ちの表れだったけど正志はその正体がまだ分からなかった。

 明日以降も話すきっかけが出来たし、二人だけの秘密を共有しているような気分で嬉しかった。『檸檬』を借りてすぐ、到着したバスに乗って雨宮さんは帰っていった。
 正志は家に帰るなり、部屋のベッドに勢いよく腰を下ろして『檸檬』を読み始める。「桜の樹の下には」という話の“桜の樹の下には屍体が埋まっている!”という書き出しには目を惹かれたけど面白いのかどうかよくわからない。表題作の「檸檬」という話は、主人公が果物のレモンを、爆弾に見立てて本屋に置いて帰るという話だった。それは正志でも読み取れたけど、なぜ主人公が檸檬を置いて帰るのか理由は全く分からなかった。
 全て易しそうな文章だったけどすんなりと頭に入ってこなかったし、正志には読めない漢字も多かった。こんな難しい本ばかり読んでるなんて雨宮さんは凄い。しかし、難しいと感じながらも少し暗くて儚げで、滲み出る淡いパステルカラーのような雰囲気がいいなぁと思う。そして、その雰囲気は雨宮さんから受ける印象とよく似ていることに気が付いた。
 1週間ほど『檸檬』を頑張って読んでみてもやっぱりあまり意味は分からなかったけど、読むたびに雨宮さんが頭の中に浮かんできて、どんどん雨宮さんを意識し始めていた。本を返すと、
「どうだった?」
 雨宮さんは目をぱちぱちさせながら、いつものはにかんだような笑顔で聞いてくる。正志は少しどきどきしていた。
「うん、良かったよ。少し暗いけど綺麗な感じだったね」
 取り繕う余裕もなく素直に答えてしまった。雨宮さんは
「え、ほんと? あ、ごめんなさい。ちょっと意外だなって。意味分かんないって言われると思ったから。そっかそっか」と言ってなぜだか嬉しそうにした。
「じゃあ、またこの本を読み終わったら貸してあげるね」と、手に持って読んでいた本に目配せして笑いかけた。
 正志も雨宮さんと話すことができると思うと嬉しかった。

 雨宮さんの本を正志が借りる関係は、二学期、三学期になって席替えをしても続いた。6年生まで正志はそれほど読書好きというわけではなく、むしろ苦手だったけど、雨宮さんと話したいという動機から借りた本を読んでいくうちに苦もなく読書することができるようになった。雨宮さんも正志の好みを把握して、日本の古い小説から外国の推理小説まで色々な本を持ってきてくれた。

*****

 あのバス停の一件で正志は雨宮さんが好きだということをはっきり自覚した。本の往復をするたびにどんどん気持ちが膨らんでいくようで、卒業式が間近になってその気持ちを抑えられなくなりつつあった。
 正志の小学校は卒業するとその地区に1つしかない中学校へ自動的に進学することになる。中学受験でもしない限りは雨宮さんも同じ中学校になる。そんな話は聞いていないから中学生になってもこの関係は続くはずだ。しかし、そのままでいいんだろうか? 告白したい。告白してみたい。冷静に考えてみたつもりだったけど、冷静になんてなれるはずがなく、正志は卒業式の日に雨宮さんに告白することに決めた。

 卒業式当日、春らしいうらうらとした天気で、空には青が広がり通学路にある緑は優しい風にざわざわと揺られていた。終わりというよりは何かが始まりそうな、全てが瑞々しく見えるような気持ち。いつもは目に留めないそんな景色に気付けたことが何だか嬉しかった。卒業式が終わり、校門の前でクラスメイトや先生に別れの挨拶をした後、式に出席した両親に
「教室に忘れ物したから、先帰ってて!」と、わざとらしい言い訳をする。雨宮さんが待っている2階の教室に急ぐためだ。
「借りた本を返したいから卒業式が終わったら教室に来て下さい」と言っておいたのだ。

 教室に着くと、この日、日直だった雨宮さんは正志を待ちながら一人教室にいて学級日誌を書いていた。窓際の真ん中の席に座っている雨宮さん。教室に入ってくる正志には気付いていない。正志は意を決して声をかけた。
「あ、あの雨宮さん」
自分でも声が震えているのが分かった。心臓は100m走をした後のように脈打ち、手も足も口も震えている。悟られないように足指に力を込め、手を後ろに強く組んだ。
「あ、正志くん。もうちょっと待ってて、今書き終わるから」
 顔を上げた雨宮さんは笑みを返し、学校との別れをしみじみ惜しんでいるような憂いを帯びた目で正志を見上げた。そして学級日誌に目を落とすと、さらさらと続きを書き始めた。その仕草がなにかとても優雅なものに見えて、一層どきどきした。
「桜、きれいだよね」と、手元に目をやりながら雨宮さんは唐突に話しかけてきた。
 咄嗟に何を言われたか分からなかったけど、窓の外に目をやると、2階の窓からでも見える大きな桜の樹が揺らめいている。正志は桜が好きだ。『檸檬』を読んで以来、桜を見ると雨宮さんを思い出すし、青空と薄紅色の対比がとてもいいなぁと思っていた。
「そうだね」と答えて思う。告白は、今しかない。
「ああああ、あの」
 声がうわずってしまって次の言葉がなかなか出てこない。それでも雨宮さんは顔を上げて穏やかな表情で続く言葉を待っている。呼吸がうまくできているのかさえも分からなくなっていたが、今日の日のために何度もイメージした通りなんとか口にした。
「あああ、雨宮さん、ずず、ずっと好きでした」
 長い沈黙だった。

 少しだけ開いた窓から吹く風。桜の花びらが隙間から入り込んで落ちた。ガラス越しに差し込む光が春だというのにジリジリと暑い。遠くのクラスから笑い声が聞こえてくる。
 雨宮さんは正志から目を逸らさず緊張したように考え込んでいるように見えた。一瞬、なにか悲しそうな色を発したように感じた。
 肩よりも少し長い髪を後ろに束ね、茶色いメタルフレームの眼鏡に太陽がキラキラと反射している。前髪がひらひらと風に揺れていた。綺麗だと思った。
 黒い髪が光に透けて薄茶色になり、眼鏡と同化したように見えて。
 ――そして。


「言ってなくてごめんなさい。……実はお父さんの仕事でイギリスに引越すの」


 気が付くと、正志は下校の道をふらふらと歩いていた。初めての告白が失敗に終わったショック、全く予期していなかった言葉、そしてそれを聞かされていなかったことなどが重なって、正志は天国から地獄に落ちた。告白するんじゃなかった、死んでしまいたいという些か突飛な思いが、頭の中にべったりと貼り付いている。
 教室からどうやってここまで来たのか記憶が曖昧だった。あの後、雨宮さんの目には涙が溢れだして、僕も無性に悲しくなって泣いた。雨宮さんは声にならない声で
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」と繰り返し、正志は気が動転して借りていた本のことなどすっかり忘れて教室を後にしていた。
 あれほど色鮮やかに見えていた景色が、今や白黒写真のように色を失っている。しかし何も感じることはなかった。

 家に帰る途中コンビニがあって、もう少し先に正志の家がある。いつもコンビニで500ml、100円のアロエドリンクを買って帰るのが習慣になっていて、重い足取りながらこの日も無意識にコンビニに踏み入った。
 外とはうってかわって店内は涼しかった。そのギャップが何だか勇気を出して告白し、数分後にフラれて絶望している自分の気持ちと重なっている気がして悲しくなった。
 雑誌コーナーの前を通ると、ひとつの雑誌に焦点が合った。

「ブレない男がモテる!!」

 いつもは目に留まるような言葉では全くなかったけどタイムリーな言葉に目が吸い寄せられる。表紙に太字で大きく書かれていて、外国人タレントがカッコつけている。
 ブレない男……。僕はまるで正反対だなぁと正志は思う。
 小学校2年生で宇宙飛行士になりたいと言い、3年生の時は図書室で借りた小説の影響で探偵になりたいと思い、4年生の時は漫画ばかり読んで漫画家になりたいと思うようになり、5年生で携帯ゲーム機で遊ぶようになりゲームデザイナーになりたいと思った。雨宮さんはそんな僕を見抜いたのかもしれない。だから……だからきっと引越しすることも黙っていたんだ。

 正志の夢が変遷していったことと、つい今しがたの失恋は全く関係がない。しかし、小学生の正志にはなぜだか強い関係があると感じられた。雑誌コーナーに立ち尽くして考えれば考える程、今まで何一つやり遂げたことが無かったと思い返され、正志は暗澹たる気持ちになった。
 もし、2年生のとき宇宙飛行士になりたいと思って、6年生まで勉強を続けられたらきっと雨宮さんは受け入れてくれたはずだ。宇宙飛行士も探偵も漫画家もゲームデザイナーも、TVや小説や漫画の影響を受けた思い付きだけど、その努力を続けていたらこんなことにはならなかったはずだ。
 正志は自縄自縛に陥っていた。失敗してしまったという思いが更に暗い気持ちにさせた。さっきよりも強く死んでしまいたいと心の底から思う。
 たっぷり20分は雑誌コーナーに立ち尽くして正志は決心した。今思っていること……それは死んでしまいたいということだ。だったら死のう。ブレないことが良いことだというなら、この死にたいという気持ちもブレずに持ち続けよう。それは雨宮さんによく思ってもらいたいという少年特有の虚勢からくるものだったが、正志にはどうしても必要なことだと思われた。

 こうして正志は死ぬことに決めた。

****

 中学校の卒業式。あれから3年の月日が流れた。小学校の卒業式の日と同じようなうららかな日だ。中学校を卒業して義務教育を終えてから死のうと思い、今日を死ぬ日に決めていた。
 死ぬための準備はつつがなく終えていた。卒業式から帰ってから決行する予定だ。部屋のカーテンレールに縄を縛り、首を括ろうという計画。縄は既にホームセンターで買ってきている。準備は万端整っている。今日を迎えて穏やかな水面のような気持ちになっていることが正志には不思議だった。恐怖心は全く無いが、とうとう今日で終わりなんだなという寂寥感に支配されていた。

 家を出る前に『檸檬』を鞄に入れた。中学生になってから本屋で見つけて買ってからも折にふれて読み返していた。これを読むと雨宮さんに本を借りていた頃の淡い記憶が思い出されて心が落ち着く。今にして思えば、雨宮さんが引越しのことを正志に言わなかったのは、ただ言えなかったんだろう。今はそれが真相だろうと思えるのだった。
 死ぬことを考えるといつも雨宮さんを思い出してしまう。死のうと決めた理由は既にあやふやになっている。なぜブレてはいけないのかは、中学生になって論理立てて考えられるようになった正志には納得のいかないものだった。しかし、ブレてはいけない、死ぬことが必要だというあの日の決心は未だによく覚えている。
 卒業式が終わり家に帰ろうと思ったけど、今日の天気を見るにつけあの小学校の卒業式が思い出され小学校に足が向いた。死ぬ前にもう一度、教室から見えたあの桜が見たかった。

 小学校も卒業式だったから中学生の正志が構内に入っても誰も不審に思う人はいなかった。あの日と同じように、青い空に桜の薄紅色が映えている。木々のざわめく音が苦しいことや辛いことを全て洗い流してくれるような気がして、鼻の奥がつんとした。
 桜の下から2階の教室を見上げる。誰もいないようだった。春は毎年やってくるけど小学6年生はもう二度とやってこない。あの頃を懐かしく思い、正志は大人になったことを実感していた。今はそれで良いと思える。
 鞄から『檸檬』を取り出した。この桜の樹の下には本当に屍体が埋まってるんだろうか? 梶井基次郎は“これは信じていいことなんだ”と書いている。もう何度も読んだその文章を読み返す。なんだか本当に屍体が埋まっているような気がしてくる。基次郎はこう言っている。何事も真っ盛りという状態に達すると、コマがよく廻ると静止しているように見えるように、素晴らしい音楽の演奏が何かの幻覚を伴うように、不思議な生き生きとした美しさを周囲に撒き散らすと。そしてそれは人の心をうつのだと。

 しばらく桜の花びらに打たれて目を閉じていると、不意に正志に話しかける声がした。
「正志くん、久しぶりだね」
 その声はいま一番聞きたかった声だった。驚いて目を開けると、ここにはいないはずの雨宮さんが立っていた。
「あ、え、えっ?」
 夢を見ていると思った。あの日と同じ日、3年ぶりに小学校に来て桜を見ていたら雨宮さんが表れた。何度も思い返していたから夢か幻覚かと半ば本気で思った。
「今日、卒業式だったんだよね? 私も小学校の桜、見に来たんだ」
 そう言ってはにかんだ笑顔は、確かに雨宮さんで、これは夢じゃなくて現実なんだと実感した。背は前よりも伸びているし顔立ちも前より大人っぽい。髪は黒色で変わっていなかったが前よりも少し伸びているように見える。眼鏡も前と少し違っていて赤茶色のメタルフレームになっている。間違いなく、3年経った雨宮さんだった。何か話したいと思ったけど驚きで言葉がまるで浮かばない。今はこうして平静を装って雨宮さんと同じ桜の下にいるのが良いように思える。

 数分、そうしていると雨宮さんが話し始めた。
「私、帰ってきたんだ。高校はこっちのに行くことにしたんだよ」
「え、そうなの?」
「うん」と、またしばらくの沈黙。
 何か、話したほうがいいとは思っても、色々な思いが頭を巡って言葉にならない。そして、なんとなく思いついた話を振った。
「梶井基次郎の『檸檬』を貸してもらったよね」と、手に持っていた『檸檬』を見せて言った。
「あ、それ私の、じゃないか。正志くんは『檸檬』好きだったんだね。実は私もとっても好きなんだ。あの時のこと覚えてる?」
 あの時のこと――それは『檸檬』を借りたあのバス停のことだ。
「もちろん、覚えてる」と桜を見上げながら答えた。
「桜の樹の下には」と雨宮さん。
「「屍体が埋まっている!」」
 正志と雨宮さんは笑い合って、貸してもらった色々な本のこと、小学校のこと、イギリスの中学校のことを話した。そしてあの卒業式のことに触れた。
「イギリスに引越すって聞いてびっくりしたよ」と、努めて暗くならないように言った。
「あの時は本当にごめんなさい。どうしても言い出せなくて卒業式になっちゃって」と少し間を置いて、
「告白してくれてありがとう、とっても嬉しかったよ。本当は行きたくなかったんだけどあの時はそんなわがまま言えなくて。でも高校はお祖母ちゃんの家から通うことにしてもらったんだ」
「ってことは、もう日本にいるってこと?」
「そういうこと!実はね、今日ここに来たのは正志くんのことを考えてて。『檸檬』を見るとなんだか正志くんのこと思い出しちゃうんだ。桜の樹が見たいなーって思って小学校に来てみたら正志くんがいて、ほんとびっくりだよ」と、興奮気味に話す雨宮さん。
 雨宮さんが同じ気持ちでいたことがたまらなく嬉しかった。そして正志は気付いた。まだ、雨宮さんのことが好きなんだ。

「正志くん、彼女とか、いる?」と、雨宮さんはさっきまでのトーンと違って真剣な目で正志に尋ねた。
 その言葉に、正志は跳ね上がるようにどきどきした。
「いないよ」と緊張しながら答えると、雨宮さんは続けた。
「あの時は急にいなくなってしまってごめんなさい。私も正志くんのこと、好きでした……もし良かったら付き合って下さい」
 受け入れそうになり、正志は雨宮さんと再開してからすっかり忘れていたことを思い出した。今日、死のうとしていたことを。 
「実は……訳あって今日死のうと思ってたんだ」と正直に白状する正志。
 その口調は、これから死のうとしている人のような重々しいものではなかった。雨宮さんには冗談のように聞こえたことだろう。
「え、死ぬ……? どうして?」と、戸惑いつつも雨宮さんは理由を聞いた。
「詳しい訳は言えないけど、小学校を卒業してからすごく死にたいって思うことがあったんだ。ブレないことが人としてかっこいいだろ? 小学校を卒業してから僕は生まれ変わったんだと思う。だから僕はあの頃の僕じゃない。その気持ちをブレずに持ち続けて、中学校を卒業したら死のうって思ったんだ。ここへは死ぬ前に桜が見たいと思って来た。雨宮さんが来たのはほんとびっくりしたよ」
 言葉にすると滅茶苦茶なことを言ってるなと正志は思う。だが、死のうと思っていた理由はそんな単純なことだった。もっともらしい理由なんてなかった。それを聞いた雨宮さんはホッとした顔をして
「じゃあ今日ここに来てほんとに良かった。正志くん、私がここに来たのは正志くんが死ぬのを止めるためだったんだね」と言った。それでも正志は、
「小学校を卒業した後もずっと雨宮さんのことが好きだった。僕も『檸檬』を読むと雨宮さんのことを思い出してた。でも駄目なんだ、ブレないことが僕にはやっぱり大事なんだ」と答えた。正志も自分で何を言っているのか分からなかった。

 今まで死のうと決心していたことは、実は言葉にすると矛盾だらけで何の論理も無いものだと正志ははっきりと自覚していた。それでも正志の中にある、まだ小学生の頃の自分がその意味不明な論理を笠に着て反抗している。雨宮さんも正志の様子をみて、それをはっきり感じ取ったのだろう。
「でも正志くん。正志くんはブレてないよ。今、小学校を卒業してからも私のことずっと好きだったって言ってくれた。それってブレてないってことじゃない?」と言う。
 確かにその通りだと正志は思った。それでも正志の中の小学生が反論する。
「確かにずっと好きだったことはブレてない。でも死ぬって決心したことがブレてしまうんだ。それじゃ駄目なんだ」
 もう口を突いて出る言葉に任せることにした。きっと誰かが乗り移っているのだ。
「さっき生まれ変わったって言ったよね。だったら一度は死んでるってことでしょ? 正志くんはきっと死んだの。そしてその屍体はこの桜の樹の下に埋まってる!」
 正志は雨宮さんの言葉に得心がいった。その瞬間、さっきまでの幼稚な論理を振りかざすもう一人の正志が本当に桜の樹の下に埋まっているような気がした。
 雨宮さんは真剣な目で正志を見ていた。風に吹かれて揺れる桜の樹の音がよく聞こえた。ゆっくりと空気を吸い込んで、正志は口を開いた。
「今日、雨宮さんに会えて本当に良かった。僕が間違ってたことが分かった。意味分かんないこと言ってほんとにごめん。そして……雨宮さん、やっぱり雨宮さんが好きです。良かったら付き合って下さい」

 雨宮さんはあの卒業式の日と同じように、目にいっぱいの涙を溜めて泣き出した。あの日と違うことと言えばどちらも泣きながら笑っていたことだ。
 桜の樹の下には屍体が埋まっている!今ではそれが本当だと知っている。それは、正志の屍体だ。正志と雨宮さんは、その屍体を弔うために『檸檬』を桜の樹の下に置いた。正志はこれまで分からなかった「檸檬」の主人公の気持ちが、今なら分かるような気がしていた。
 青い空には薄紅色の桜の花びらが舞っている。二人は桜の樹を並んで見上げてから、ゆっくりと歩き出した。

<完>


【2015.10.24 (Sat)】 小説 // TRACKBACK(0) // COMMENT(10)
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